1・17宣言(兵庫県)

突然目の前が真っ暗になり
あちこちで真っ赤な炎があがっていた
叫び声が聞こえ サイレンが鳴り響いていた
多くの人が貴い家族を失った

わたしたちは過信していた
科学技術を、近代都市を
わたしたちは忘れていた
共に生きているということを
支えあうことの大切さを
皮肉にもそれを教えてくれたのが
あの震災だった

震災から10年が経過し、震災前の水準まで復興したと言われる神戸の街。だが、ドキュメンタリー番組や様々な報道を見ていると、多くの被災者が負った心の傷は今もそのままで、時の経過は何も解決してくれないことが分かる。「あの日から時が止まったまま。震災の記憶は一生消えることはありません」と語る被災者たち。それでも彼らが無理に笑顔を作って前向きに生きようと務めているのは、失った家族や隣人の分も、あるいは助けてくれた人に報いるためにも、精一杯に今を生きなくてはという思いなのだろう。次は自分の住んでいる街かもしれない……と考えながら、兵庫や新潟のことを思う。

発生:1995年1月17日 午前5時46分
震源地:淡路島北部 北緯34度36分 東経135度02分
震源の深さ:16km(内陸直下型)
マグニチュード:7.3
震度:7 神戸市須磨区鷹取、長田区大橋、兵庫区大開、中央区三宮、
     灘区六甲道、東灘区住吉、芦屋市芦屋駅付近、西宮市夙川付近
     宝塚市、淡路島東北部の北淡町一宮町津名町の一部
   6 神戸、洲本
   5 豊岡、彦根、京都
死者:6,433名
行方不明者:3名 
負傷者:43,792名
避難者:316,678名
家屋被害:全壊104,906棟(186,175世帯)
     半壊144,274棟(274,181世帯)
     一部破壊263,702棟
水道断水:約130万戸
ガス供給停止:約86万戸
停電:約260万戸
電話不通:30万回線超