[Cinema] 風立ちぬ宮崎駿の「夢幻」。
★★★★★

寝食を忘れて戦闘機の設計に没頭する二郎。天空を美しく飛翔する夢。結核で命を削られていく菜穂子。床に伏せ、大地に横たわる現実。天空へ羽ばたこうとする者。大地から飛び立つことの出来ぬ者。試作機(七試艦戦)が失敗し、二郎は軽井沢を訪れる。すべてを忘れさせる「魔の山」で、それでも忘れ得ぬ二郎の夢を乗せた紙飛行機は風に乗って「階上」にいた菜穂子のもとへと辿り着く。交錯する二郎の夢と菜穂子の想い。菜穂子はその紙飛行機を「階下」へと投げ返すが、紙飛行機は二郎のもとには帰らず、ドイツ人の「手」のなかで潰れてしまう。

飛行機の設計とは、混沌の中から秩序を構築していく地道な作業に他ならない。生みの苦しみ、その暗闇の中を「手探り」で彷徨っていた二郎にとって、蒲団の中から差し出された菜穂子のか細い「手」がどれほど二郎を前に進ませる力となったことだろう。皇国の浮沈をかけた戦闘機を作るため、かたや死せる病と闘うため、各々が果たすべき責務を負いながら、残された僅かな時間を凛と生きようとした二人の男と女。ガル翼の美しい飛行機(九試単戦)が風に乗ってはじめて大空を舞った時、二郎をこの栄光へと導くために菜穂子がサナトリウムから抜け出して最後の力を与えてくれていたことを、二郎は悟る。


人生や人間社会は、二郎の良きライバル・本庄が口癖にしていたように「矛盾」に満ちている。そうした矛盾、すなわち混沌のなかから美しいものを作り出すためには、美しいものや大事なものも犠牲にせざるを得ないという現実。「子供は分からなくても分からないものに出会うことが必要で、そのうちにわかるようになる」(宮崎駿)。菜穂子が投げ返した紙飛行機と同じように、二郎の送り出した零戦もまた帰っては来なかった。最後の夢のなかで、飛び去った零戦が、失われた命たちが、大きな「ひこうき雲」を作っていく。国は敗れ、武装解除された日本では新たに飛行機を作ることは禁じられた。それでも生かされた者は生きねばならない。戦争は去り、菜穂子との想い出とともに、全ては夢幻の中へと溶けていく。持てるすべての力を出し切ったかのような、美しく、切ないクロージング。これを泣かずして、何に泣けというのか。

監督・原作・脚本 宮崎駿, 126mins, 2013。