脱線事故と報道

事故をゲーム脳のせいにした記事まであった。こうした記事が僕等を真相から遠ざけていく。
アメリカでは、ジャーナリストを養成する大学の講義で報道時のエチケットを徹底的に教えこむ。悲惨な事故があった際に、悲しむ犠牲者の家族をリアルタイムで放送することは現在は基本的にタブーとされている。それに引きかえ、日本のマスコミは犠牲者の遺体が安置されている体育館に詰めかけ、家族が犠牲になっていないか探しにきている人々に容赦なくフラッシュを浴びせ、あたかもそれが当然であるかのように中継する。それは、混み合う電車の中で遠慮なく化粧したり、シルバーシートに居座って携帯をかける若者たちと同様に、それをされたらどんなに不愉快な思いをする人がいるか、ということを想像する力がこの国ではとうの昔に磨耗してしまったことを示している。僕等は、とても心の貧しい国に生きているのだ。
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