ベトナム戦争、遠くて近い30年

orpheus2005-04-30

サイゴンが陥落して今日で30年。NHKのドキュメンタリー番組「ベトナム戦争サイゴン陥落 アメリカはなぜ敗れたのか」は北ベトナム南ベトナムアメリカ陸軍・大使・CIAなど関係者による証言を中心に構成されていて、とても充実した内容だった。米軍は1973年のパリ和平協定によってベトナムへの軍事介入を止めて順次撤兵したが、その背景にはアメリカ国内での厭戦ムードの高まり*1があった。B52による空爆*2の恐れがなくなったと判断した北ベトナム軍はホーチミン・ルートを拡張して南下を進め、75年に要所バンメトートを制圧し、3月末にはフエ、ダナンを攻略、翌4月30日にサイゴン*3を陥落させた。15年に及んだベトナム戦争はこうして終結する。なお、ベトナムで苦杯を味わった米軍*4はその反省から、米兵の犠牲を最小限に抑える研究を進め、湾岸戦争では“ベトナムの借りを返す”ことに成功している。その後のイラク戦争における露骨な米軍の本格的介入は、湾岸戦争で自信を深めた米軍の“慢心”が反映されたものだった。
※写真はUPI通信社のカメラマンだった澤田教一が撮影した「安全への逃避」。澤田はその後、カンボジアで取材中に銃撃され死亡した。

*1:アメリカはベトナム戦争のピーク時に約55万人の米兵を派遣、約58,000名の死者を出した。一方、ベトナム側の死者は南北合わせて100万人を超える。ベトナム戦争終結後も多くのベトナム難民が発生し、80年代後半に打ち出された「ドイモイ」政策が浸透するまでに約80万のボートピープルが確認されている。

*2:「北爆」は1968年10月に停止されたが、ジョンソンにかわって政権に就いたニクソン大統領が72年に再開させて顰蹙を買った。

*3:その後、サイゴンは76年7月にベトナム社会主義共和国の成立が宣言された後、ホー・チ・ミンと改名された。

*4:議会を説得できず、南ベトナムを救援できなかったフォード大統領の首席補佐官をしていたのが、先のイラク戦争を推進したラムズフェルドであることは非常に興味深い。