女神の美声

orpheus2007-02-15

都民芸術フェスティバルに森麻季が登場。オケは「のだめ」でおなじみの東京都交響楽団、指揮は金聖響
今日は早くから木管がステージに上がって念入りに準備をしていたが、終止気合いの入った華麗な演奏を聴かせてくれた。まずはスメタナの「売られた花嫁」序曲から。檻から放たれた豹のように弦が疾走すると、木管金管が負けじと追いかける。掴みはほぼ完璧といってよい出来。そして聴衆にボヘミアの響きの余韻を楽しませる間を与えず、白いドレスに身を包んだ“女神”がステージに颯爽と現れた。もちろん花嫁のイメージである。前曲の疾走感を保ったまま、オケはモーツァルトフィガロの結婚」へと流れ込んでいく。それにしても、この嵐のような選曲。コンサート・アリア「とうとうその時が来た」にせよ、次のモテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」にせよ、声をひとつの楽器と見なして書いた、いかにもモーツァルトらしい音の細かな動きの連続で、唄いこなすにはかなりのテクニックを要するものばかりだ。しかし、我らが“女神”は全く動じない。あの華奢な体でどうしてそんな声量を出せるのかといつも驚かされるのだが、タフなトレーニングと確かな技巧に裏付けされた、自信に満ちた圧倒的な美声で今日も存分に楽しませてくれた。また、表情を抑えたオケのピリオド奏法もソプラノのビブラートの美しさをうまく引き立てていたように思う。だが、至福の時はいつまでも続かない。冷え込む都会にひと足早くやってきた“春の嵐”を思わせる森がステージを去ると、会場は早くも演奏会が終わってしまったかのような雰囲気に包まれてしまう。皆が分かっているのだ。荒川静香フィギュアスケートの歴史に金字塔を打ち立て、熊川哲也がバレエ界に衝撃を与えたように、森麻季もまたオペラの歴史にその名を大胆に刻んでいることを。そして、その歌を生で聴くことの意味についても。
第二部はフルオケで、聴衆の気分に応えるかのようにチャイコフスキーの悲愴交響曲が演奏された。今日の都響はやはり木管がいい。弦も頑張っていたが、今ひとつ艶やかさに欠け、金管はffに達する前に割れ過ぎの印象があった(ミュート・ホルンの音は面白かった)。ずいぶんと派手な悲愴だが、これが金聖響の好みなのだろう。ステージから遠い席だったので奏者の表情までは分からなかったのは残念だったが、その代わりに楽器間のディレイの少ない、オケ全体の音を楽しめた夜だった。東京芸術劇場、大ホールにて。
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