アップル vs 文化庁

orpheus2007-06-05

アップル、文化庁を激しく非難--「私的録音録画補償金制度は即時撤廃すべき」
最近また著作権をめぐる議論が盛んになってきたが、退屈で仕方がない。既得権益者の利益を護ることが再優先で、音楽を聴く側の立場などハナから無視されているのだ。こういう時は、黒船に揺さぶってもらうのもまた一興である。

「はなから『結論ありき』の審議会運営をする著作権事務局には真摯な姿勢は微塵も感じられず、もはや公平公正な著作権行政を運営する適切な省庁とは言い難く、速やかに著作権行政を他の省庁に移管することを強く望む」(アップルジャパン)

すべて引用したいぐらいだが、「法律家である両名氏が意図的に著作権者団体の意向にそった事実無根の詭弁を弄するのは真摯な著作権行政を審議すべき同場所で不適切であり、国家国民を愚弄する存在である」「自己撞着を生じさせている日本の著作権者団体は非を認め傲慢不遜な主張を即時停止すべきである。著作権者団体の自己中心性こそが日本のコンテンツ流通を阻害し消費者の選択肢を狭小化させ、IT 業界の生産性を棄損している」など、誰が起草したのか知らないが実に痛快な物言いである。意見書というより、日本の眠れる侍たちに檄を飛ばすのが真の目的とみた。
著作権に関して言えば、日本は世界のトップクラスの《重税》国家である。著作者使用料を支払っているアップルが私的録音録画補償金制度という2重の搾取に怒りを表明するのは当然であろう。とりあえず、日本の役人やJASRACの連中はiPodを買い、今どきの音楽ファンの実態を把握することから始めたらどうか。アップルの主張は俺たちからのピンハネは認めないという無邪気なもので、それはイラクの石油利権を守るために日本も軍隊を出せと要請した彼の国の大統領のような傲慢さにどこか通じるものもあるが、歪みすぎて歪み具合が分からなくなってしまった日本の著作権制度を鵜呑みにすると次のような人間不在の法律論議が罷り通ることを思えば、たまにはカウボーイの意見に耳を傾けることも必要なのかもしれない。

「2003年からiTunesを使い始め、ライブラリが849GBに達した男」(GIGAGINE)みたいな人は、日本にもいそうですが、起草者の見解に従う限り、日本の著作権法では複製権侵害にあたるので注意が必要です。

とんでもない。CD1枚だろうと1000枚だろうと、自分で購入したソフトでパーソナル・ライブラリを構築し、iPodに入れて持ち歩く分には何の問題もない。多くの本を集めたら整理のために本棚や書斎が必要になるし、第一、自分の本をどこで読もうと人の勝手だ。音楽も同様である。バックアップや音楽を持ち歩くために必要な複製は個人で楽しむ限りにおいてはシロである著作権法第30条「私的使用のための複製」*1)。「曲数が増えれば複製権の侵害」などという訳の分からない論理が罷り通ったら、誰もCDなど買わなくなる*2
では、どこからがクロなのか。法整備を先取りして言ってしまえば、中国や台湾の露店やYahoo!オークション等でよく問題になるようなコピーした著作物を販売する行為は明らかにクロ。そして、P2Pによるファイル交換やネット上のサーバーに著作物をアップロードする行為も違法行為と見なされる方向にある。映画ならば、録画した映像やDVDから切り出したデータをバラまくのはもちろんアウト。ただし映画のスチル写真や画像をブログに載せて映画のレビューをする程度では映画会社はクレームをつけない。そんなことをいちいち取り締まっていたらキリがないし、作品の宣伝になるからある程度は許容する、というのが大人社会の常識である。では音楽はなぜダメかといえば、音楽データにはオリジナルとそのコピー以外の形態はありえないとする偏った認識がこの国では支配的であるからに他ならない*3
とはいえ、例えばYouTubeに落ちているMAD*4に対し、必ずといってよいほど「あれは誰の曲なのか?」という質問がなされるように、ネット上で未知の楽曲に触れる機会はかなりある。そして、ネットで知った作品をそのままAmazoniTunes Storeで購入するという時代の流れもまた止めることはできない。不幸なことだが、多くの人が「良い」と感じるものは(合法にせよ違法にせよ)ますます利用されるし、そうでないものは淘汰されていく。ネットとはそういうものだ。
結論:世の実情にそぐわない法律至上主義は文化に死をもたらす。
「知財推進計画2007」正式決定、ファイル交換ソフトからの複製禁止など
私的録音録画小委員会、CD売上減と私的複製の関係めぐり議論は平行線
「知的財産推進計画2006」の見直しに関する意見(アップルジャパン、P.11〜13)
コンピュータ・ネットワーク上での作品の送信・公開と受信(siteSakamato)
ジャスラックとは?

*1:著作権の目的となつている著作物は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。例外=個人を超えて用いられる複製機器による複製および技術的保護手段の回避のための複製行為。

*2:アップルは「複製防止措置の付いた著作物パッケージを製造販売すべき」と主張している。これはすぐに実現できる問題ではないので、著作権関連団体とレコード会社が結託してアップルを叩いていることに対する批判であろう。アップルが最も問題視しているのは、政令によって定められたデジタル機器で録音を行なう場合に補償金を払うよう定めている著作権法第30条第2項のiPodへの適用の是非についてである。すでにDATや音楽用CD-Rには私的録音保証金が上乗せされており、JASRACRIAJiPod等のデジタル・プレイヤーやこれまで対象外だったデータ用CD-Rに対しても補償金を支払えと迫っているが、アップルはWIPO加盟184ヶ国、ベルヌ条約批准163ヶ国のうち約95%の国が補償金制度を取り入れていないとして反発している。これが適応されるとiPodの国内販売価格が上昇し、iPodの利益率の低下は避けられない。iTunes StoreよりもiPodビジネスの方が重要なアップルにとって、それは最悪のシナリオなのである。

*3:ここでまたMIDIデータをめぐる議論が生じる。今さら多くは述べないが、演奏やアレンジを含めて音楽を自由に楽しむ権利を誰もが有している。第三者の手によるMIDIデータがオリジナル楽曲の複製物にあたるかどうかは意見の分かれるところであり、あらゆる芸術活動は先達の模倣ないし研究からスタートするという観点から、筆者は創作活動の初期段階にまで課金するJASRACの拝金的な考え方に反対である。言うまでもなく、他人の曲を打ち込んだMIDIデータを作曲者の許可なく自分のアルバムに加えて販売するのは問題であるし、カラオケや着メロは明らかに商業利用なので使用料の徴収は当然である。だが、そうではない非商用目的で製作されたMIDIデータについてまでJASRACが介入するのはおかしい。音楽だけではない。相当な逸脱がない限り、同人レベルの模倣や二次創作活動は文化の裾野を縮小させないために許容されるべきである。また、こうした行為の中には、製品化される機会を逸した不運な楽曲やキャラクター等を世に知らしめるといった、商業主義では無視されてしまう、多様性を回復するための活動も含まれることを指摘しておきたい。こうした側面を考慮しないで切り捨てる組織に日本の文化振興を語る資格があるとは思えない。アップルの主張ではないけれども、文化庁天下り先のこうした機関は解体して、より文化の実情に即した柔軟な組織を作った方がよいかもしれない。管理団体を作り直すのは簡単だが、潰してしまった文化を再興させるのは難しい

*4:映像や音楽等をユーザーが組み合わせて編集したPVのようなもの。ファンによる独自の予告編やOP/EDといったものから、9.11の航空機激突シーンばかりを集めたものなど様々なものが流通している。コラージュとして面白いものもあるが、上記のMIDIとは異なり、既存の映像や音楽をそのまま素材として流用しているという点で、こちらは著作権的に完全にアウトである。