“失われた世代”には子供も少ない

赤木智弘『「丸山眞男」をひっぱたきたい』(抄)
自尊心
「大人は分かってくれない」。また、その逆相としての「黙って年寄りの言うことを聞け」。世代論になると必ず登場する、昔からの常套句である。人は多くの経験を積むことで、若い頃には受け入れることができなかった不自由な現実へと辿り着く。大人がやたらと説教したがるのは、若さゆえに青年が犯す過ちや視野の狭さによる挫折を自分たちも嫌なほど味わってきたからに他ならないが、若者はこうした批判を甘受するかわりに、自分の青臭い主張を大人にぶちまけて対峙する(あるいはシカトすることで消極的に対峙する。どちらも同じだ)。例えば、赤木氏のように。無知の自由と既知の不自由。両者の意見が交わることはない。
国民生活白書によれば、1970年の離婚率は婚姻件数全体の約10%だったが、その後は増加を続け、2000年には約32%に達した。若者の離婚と夫の定年退職を機に離婚する熟年離婚の増加がその主たる原因だが、どんな事情があるにせよ、一度作った家族関係を白紙に戻す(正しくは白紙どころかマイナスになってしまう)離婚の増加は、昔なら「社会性の欠如した人間の増加」と単純に捉えることもできた(言うまでもなく、夫婦は社会の最小単位である)。だが、今の日本のように社会規範のしきい値が下がっている状況下では何が社会的に正しいかという議論はなかなか成立しにくい。かくて、結婚しようと離婚しようと勝手だというリバタリアニズム的傾向がここにも顔を覗かせる(リバタリアンの偶像ともいえる小泉純一郎が他ならぬ離婚者であり、サミットで伴侶を連れ歩く各国の首脳たちの中で一人だけ浮いていたのは実に印象的であった)。
さて、本題である。最新の人口動態統計を見てみよう。2006年の出生率合計特殊出生率)は1.32で、前年度から上昇したのは6年ぶり(その4人に1人はショットガン・マリッジすなわち“できちゃった婚”による子供である)。今の平均初婚年齢は男30歳、女28歳と晩婚化が進んでいる*1ので、当然この年齢層が母集団で最大の山を形成している*2。このことは同時に、近年でもっとも人口が多く、第三次ベビーブームをもたらす可能性のあった団塊ジュニア(35歳前後)にあまり子供が産まれなかったことを示している。ひとくくりに“格差社会”と言ってしまうと問題を単純化しすぎる嫌いがあるが、自分の家庭を持ち子供を産み育てられるかどうかが人生における豊かさのひとつの指標となるならば、これがバブル崩壊後に生じた(そして、フリーターたちの代弁者たる赤木氏の標榜する)“失われた世代”の受けた社会的黙殺の一例と捉えることもできる*3。国民は国家の基礎であるという観点からもこれは大きな人的損失であり、あらゆる問題を“自己責任”という言葉に還元し、セイフティネットを剥ぎ取るばかりで有効な少子化対策を打ち出せなかった小泉“格差拡大”内閣の犯した最大の罪だったといえよう。

*1:ちなみに30〜34歳男性の未婚率は1950年が8%、1990年が32%、2005年が47%。25〜29歳女性の未婚率は1950年が15%、1990年が40%、2005年が59%である。

*2:日本の役人が省益を優先してまとめた恣意的なデータなので数字を鵜呑みにするのは危険だが、そうかといって他に信用できそうなシンクタンクの体系的データもない。

*3:少子化の問題には複合的な要因が絡んでいるので断定は禁物だが、子供を産むか否かの選択に家庭の経済事情が大きく関係していることは言うまでもない。