笑いを笑う者を笑え

orpheus2007-11-17

月並みな表現はすぐに陳腐化する。グローバリズムを苗床とし、均一化と差別化のせめぎ合いを是とする言語主体のネットワーク空間が言語の“使い捨て”を加速させている事実はもはや否定することさえ難しいだろう。そして多くの言語表現が未曾有のペースで消費されていくこの危機的状況を容認ないし甘受している人があまりに多いという事態もまた、新しく生み出される表現の質や寿命を低下させる一因となっている。実際のところ、手垢のついた古びた表現に代わるような魅力的な新しい言葉を挙げよと求められたら、返事に窮してしまう人も少なくないのではあるまいか。このような状況の担い手、という意味で興味深いのは、言語におけるフラットなポストモダン的状況(ポストモダンがフラットとは何たる皮肉!)を意識せずに後押しし、気がつかずに広めてしまった者たちの存在であろう。運動の本来の推進者・擁護者であった“ニューアカ世代”は今や社会の中心ないしその周辺で反動的なレイヤーを形成しており、保守化したこれらの世代の《葛藤》はもちろんのこと、かつて彼らが論じた《概念》など知るよしもない、それ自身の存在がまさにフラット・ポストモダン的といえる“平成のゆとり世代”が、高度経済成長を支えてきた世代によって閉ざされてきた扉を、新しい世紀の到来とともに無造作に開け放ってしまったのである。そう、現代のパンドラの箱には、実は鍵などかかっていなかったのだ。