他の帝国をめぐる話

姜尚中・東大教授ら、ネグリ氏来日中止で政府に抗議声明
恋愛帝国の住人*1となっている私が意見するのも何だけど。
ネグリが主張する新しいマルチチュードが仮に存在するとして、それが機能するために不可欠な要素はやはり《主体性》だろう。今日のネットワーク時代にあっても、多くの日本人は旧来の意味でのマルチチュード(群衆)から脱することができずにいる、あいかわらず人任せで意志の弱い存在だと思う*2
ネグリの来日中止をめぐる不手際は、彼を招聘した日本の政治学者や政治団体があらかじめ準備を整えておくべき手続き上の問題であり、彼らの勉強不足の一言に尽きる。そのことを棚にあげて入国管理側を非難するのは、彼らが「生の政治」については素人であることを証明するようなものだ*3。そもそもネグリは獄中に自ら戻って政治犯の刑期を務めあげるような“タフ”な人物。今回の来日中止など気にもとめていないだろうが、改めて招聘するのであれば、デモに発展し得るサミットのような懸案事項のない別の機会に(数週間といわず)じっくりと招いて「日本における、ゆるいマルチチュードの可能性」でも探ってもらう方が面白いし、この国の実情に合っているのではないか。もっとも、問題が起きてからでないと行動ができない(そして結果を残せない)“守り”の日本アカデミズムが、ネグリマルチチュードの足を引っ張るのは目に見えているけれども。

*1:主体的に選択しているので、恋愛の奴隷ではない……と言い訳をしておく。

*2:膨大な情報の海の中で、いわゆる《良識》よりも宣伝力(資本力)や単なる過激さを背景とする“声の大きさ”の方が力を持ち得てしまう今日のネット社会においては、たとえば情報操作のされ易さなどは教養主義の世代よりもネット漬けのポストバブル世代(貧乏くじ、バトルロワイヤル世代)やネオバブル世代(ゆとり世代)の方がはるかに深刻化している、と私は感じている。

*3:他の22ヶ国の対応がどうだったから、というのは説得力を持たない。他ならぬ日本政府の対応を招聘者側が見誤っていたことが問題なのである。