「ハウル」が問いかけるもの

orpheus2005-06-23

※ネタばれあり。未見の方はご注意ください。
議論の叩き台として、アメリカ人の感想を取り上げる。
『ハウルの動く城』米国レビュー(HOT WIRED JAPAN)

外見が老婆に変化したことで、ソフィーが精神的にも成長する(突然、おばあさんのような知恵と忍耐力が身に付いた)というのは、どうもよくわからない。だが、こうした論理を超越した展開は、宮崎監督の物語にはなくてはならないものだ。

頭ごなしに否定してしまうのも何だが、「ハウルの動く城」は論理的な映画である。まだ18歳だというのに枯れた老婆のごとく自分の殻の中に閉じこもっていたソフィー。逆説的ではあるが、荒れ地の魔女の魔法によって相応の姿(90歳の老婆)にさせられることで、彼女は気兼ねなく本来の自分らしさを発揮しはじめる。知恵や忍耐力は突然身についたものではなく、彼女がもともと持っていた資質なのだ。
老化の魔法は、すでに岩のように頑な心のソフィーに絶望とは逆の結果をもたらした。街を去った彼女はハウルたちと出会い、彼らと共に過ごすうちに自己の存在意義を確立してゆく。自分に何ができるかを知り、それに向かうことのできる人間が魅力的でないはずがない。はじめは根拠のなかったハウルに対する恋心も確かな愛へと変わり、ソフィーは内面の輝きを完全に取り戻す。彼女が老化の魔法を打ち破って本来の姿に還るのは、物語の展開としても自然な流れである。
なお、ソフィーの髪の色が元に戻らないのは、老化の魔法が(夢や暗示などではなく)実際にかけられていたその名残りであると同時に、流れ星となって堕ちてきたカルシファーと少年ハウルとの間で結ばれた契約の秘密をソフィーが解き明かしたことの証しである(それを「星の光に染まっているね」とさりげなく指摘するハウルもまた心憎い)。
そして最後の「心って、重いの」というソフィーの科白。自分の存在に悩み苦しんできた彼女自身が、それを乗り越えてようやくたどり着いた言葉。ソフィーは仲間の信頼を勝ち取り、自分を解放することができたのだ。もう明らかだろう。この映画には、自分の殻に閉じこもりがちな現代人や、自分の可能性を閉ざして挑戦することを忘れてしまった人々に、そこからの脱出を問う宮崎駿のメッセージがしっかりと込められているのである。