「忠臣蔵」の日に思う

301年前、江戸幕府の理不尽な判決に抗議するため、47人の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りし、亡き主君への忠誠を果たした。保身や安堵といった「利」に流されず、人としての道である「義」を最後まで貫いた彼らの物語は、多くの民衆から共感を得て、今でも「忠臣蔵」として知られている。

最近は「義」よりも「利」を優先させる日本人が増えたらしい。アメリカとの同盟関係を強化したい小泉総理は、支援活動という名目で自衛隊イラク派遣を打ち出したが、これは戦争放棄を定めた日本の憲法という「義」を捨て、アメリカや国内石油業界との「利」を優先した露骨な例だろう。「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」という。「義」を何よりも大切にしたサムライの魂は、どこへ行ってしまったのか。

サダム・フセインが米軍に拘束された。彼が犯したとされる独裁政治の罪は、当然、その最大の犠牲者であったイラクの人々によって裁かれるべきだと思う。イラクの混乱はまだ続くだろうが、フセインの時代がこれで終焉を迎えたことは間違いない。