シンプルな話―あるいは負け犬の研究(1)

先回投じた網に何やら薄汚いものがかかっている。イヤーな予感がしたのでミクシィを見ると、アフォリエイト中毒女と商材マニア男の足あとが多数発見された。こやつらか。金欲しさでギトギトの雑魚なんぞ食えたもんじゃないが、「負け犬」と同じ臭いも感じるし、食べることのできる部分(日本社会にプラスとなる部分)があるかどうか、少し洗って観察してみよう。まずは「負け犬」の研究から。
酒井順子『負け犬の遠吠え』に次のような記述がある。

結婚や出産に対する意欲をいくら女子が燃やそうとも、相手がいなくてはそれは今のところ、できないのです。

(酒井順子『負け犬の遠吠え』)

35歳の女性(執筆当時)が自分のことを「女子」と呼ぶ辺りからして既に現状逃避の臭いが漂っているが、これは日本の男たちが女性に長いこと押しつけてきた「女は愛嬌」という言葉が拡大解釈され、納豆のように糸を引くに至った状況とも言える。ウィキペディアに「この作品(負け犬の遠吠え)をもってついに日本のフェミニズムが成熟したと評する声もある」という記載が見られるが、『負け犬の遠吠え』は特定の女性層が社会から孤立している状況を浮き彫りにしただけであって、成熟したフェミニズムというより、むしろ日本の歪んだフェミニズムの象徴なのである(先回のエントリを参照)。
さて、相手がいないから結婚できないと酒井順子(以下、サカジュン)は言うが、本当にそうなのだろうか。現実にいるはずもない相手を夢想していることに、サカジュンやこうした女性達はあまりにも無自覚ではないのか。

結婚もせず子も産まず、という負け犬がなぜ現代、大量発生しているか。まず、統計的に見て理解できることは、高学歴の女子と低学歴の男子が余っている、ということです。それはいきおい、高収入の女子と低収入の男子が余っているということにもなります。

実際に自分の周囲を見てみても、高学歴で高収入、なおかつ見た目も悪くないというメス負け犬がぞろぞろといるのに対して、高学歴高収入で見た目も悪くないというオス負け犬は、ほとんどいない。

(同)

上記の文章に続けて、サカジュンは日本男児が低方婚を好み、女性はその逆である(自分よりも高学歴・高収入で、なおかつ見た目のよい男を選ぶ)と論を展開する。つまり「稼ぐ35↑女<その女より稼ぐイケメン」と結婚したいという、いかにもバブル的で贅沢な望みだが、残念ながら「35↑女よりも稼ぐイケメン」が独身で売れ残っている可能性など皆無である。そこでサカジュンが現実に立ち返って我が身を省みるかと言えばそんなことは微塵もなく、極めて視野の狭い考え方、すなわち「結婚していない男=オタク」説を唱えて八つ当たりするのである。

バーチャルな世界だけで異性との交わりを済ませるおたく君、対して、こちらにいるのは現実的欲望を有り余るほどに持っている、三十女。

「高」な女子と「低」な男子は、女子側が低方婚に違和感さえ感じなければ、まだカップリングも可能です。しかし、「高」な女子とおたく男子の組合せは、どうにもこうにもやりようがない。アニメの美少女に「萌え〜」としているおたく君は、まかりまちがっても三十女とデートなどしたくないだろうし、三十女としてもおたく君と一緒にイタリア料理店に行って、生のポルチーニと乾燥ポルチーニの味わいの違いについて話す気には絶対になれない。

(同)

オタク男と三十女のベクトルが逆方向を向いていることは理解できなくもないが、結婚していない男=オタクという貧しい発想からも窺い知れるように、サカジュンが結婚できていないのは「現実的欲望」と言いながら、実は現実の世界を全く直視していないからに他ならない。くだらない夢や虚構を押しつけて儲けてきたマーケティング畑の人間(サカジュンは博報堂出身)にふさわしい末路と言ったらそれまでだが、永遠のドリーマーたるサカジュンに残された道は(いみじくも本人が語っているように)独身女のグループホームで老いていくだけなのかもしれない(いっそのこと田舎の自称イケメンホストでも囲い、広告代理店のプッシュしたイケメンブームがいかに醜い現実を生み出しているか直視してみたらどうか。男を見る目も変わるだろう)。
現実の世界は不自由である。優秀な男ほどなるべく早く所帯を持つことが職場から求められるし、仕事のできる女性ほど結婚も早く退社を余儀なくされる。そもそも「女>男(経済的に自立)」という価値観から「女<男(養ってもらう)」という正反対の価値観にシフトすれば「勝ち組」になれるという発想自体が虫が良すぎる。離婚が珍しくなくなった今日では、そういう見え透いた態度の女性は結婚後に男から捨てられる可能性も高い。やはり、先回のエントリで書いたように「女≠男(差異を認め、かつ片方に依存し過ぎずに互いの良さを活かす)」という価値観を共有しておかないと、これからの時代の男女関係は長続きしないと思う*1
もちろん、男と縁がなくてやむを得ず仕事を続けている真面目な女性もいる。こういう女性と、例えば不倫ばかりして結婚生活を馬鹿にする女性をサカジュンは十把一絡げに「負け犬」と呼んでいるが、これはもっと扱いに注意すべきだろう(「負け犬」という言葉を安易に使う今の風潮自体も問題ではあるが)。では、負け犬とは誰のことを言うのか? 人として道をそれてしまった愚か者のことだと定義すべきだ、と私は考える。つまり、仕事もできないのに会社に居直る男女や、家事手伝いと称して何の努力もしない連中。また、他者を利用して金稼ぎに興じている魂の脂ぎった輩(オレオレ詐欺のクズ、情報商材と称してマイミクをネズミ講に引きずり込む莫迦、他人を装ってポジショントークに勤しむデイトレーダーなど)も負け犬である。考え方を変えればいくらでも相手は見つかるのに、身分不相応な相手を求めて結婚できずにいる女性(あるいは男性)は、自分から引き継がれていくはずの子孫の人生を肥大化したエゴで奪っていると言えるし、家事手伝いやニートは親の財産と社会的信頼を奪っている。そして、金儲けに狂うネットの盗人どもは文字通り他人の金を奪っている。もちろんオレオレ詐欺が警察から摘発されたように、詐欺の巣窟となっているミクシィが対策を講じなければ、司法が介入する日も遠くはないかもしれない。詐欺行為に対する運営側の管理の甘さはミクシィという事業の命取りとなりうる。
まとめ:「負け犬」とは、他の人々の幸せを奪い、自分の欲望を優先させる者すべてが負うべき言葉なのである。
さて、明日はいよいよ参院選投票日。期日前投票も済ませてあるし、山積みになっている本を読みつつ、国民の審判の行方を見守るとしよう。池田信夫が「官僚はもっと莫迦になれ」と語っていたが、日本の官僚などとうの昔に――高度経済成長の頃から――莫迦になってしまっているのだ。それは今回の選挙の争点となっている社会保険庁の杜撰な仕事ぶりの例を挙げるまでもなかろう。硬直化し、自浄作用のなくなった官僚機構の縦割り行政システムを無効化し、内閣や民間、役所同士が連携しなくては仕事ができないフラットなシステムへの移行が必要なのだ。そして、それを可能にするチャンスを豪腕政治家に与えられるのは有権者だけである。完全に老朽化したシステムを解体して土台から作り直すのか、腐った土台を放置して屋根にツギだけあてて現状維持で済ませるのか(後者の場合、大きな地震が来たら建物は一気に崩壊する)。どちらを選択するかが問われている選挙だと思う。

*1:女性は気がついてないようだが、女性の台頭で男たちも急速に進化(あるいは退化?)しているのである。