雉も鳴かずば撃たれまい

orpheus2007-11-04

時間をかけて積み重ねてきた政策論議を簡単にひっくり返してしまった小沢氏。しかし、二大政党制の確立をめざしてきた民主党に、今さら大連立などという選択肢はありえない。自民党の下野を望む多くの有権者の期待を裏切った以上、小沢氏の党首辞任もやむをえないだろう。産経はナベツネが大連立の仲介者と報じているが、その真偽はともかく、首相との党首会談に臨んだ小沢氏の脳裏をよぎったのは、おそらく1999年の自自連立の時のイメージだったに違いない。
だが、冷戦崩壊後の政界再編の頃と今とでは、世界情勢も民意も大きく様変わりしている。まず、肥大化した官僚システムを持続するための国民的コンセンサスと財政的な余裕が失われた。また、毎年更新される最高気温に苦しめられ、海温上昇によって異常発達した大型台風に見舞われるなど、温暖化対策まったなしの状況におかれた現在においては、環境負荷の高い公共工事政策など、もはやありえない。経済のレベルでは、猛威を奮うグローバリゼーションの波に飲み込まれ、中小企業や生活力のない個人は、圧倒的に安い中国製品や、低賃金でも喜んで働く海外の労働者たちと、日夜バトルロワイヤルの状態である。また、文化のレベルでは村上春樹的なもの、すなわち程よく味付けされ、手軽に楽しめるもの、要するにファーストフード的な作品があらゆるリアルの創作活動およびその消費空間に影響を及ぼしており、デジタル化された著作物のコピー氾濫とあいまって、何とも刹那的かつアナーキーな状況を生んでいる。
とまあ、党内の予想GUYの反発を受けて小沢氏もさすがに気がついたとは思うが、一時しのぎと言ってもよい10年前の保守合同の発想では、完全な統合と差別化がより徹底的に進行するこの21世紀をサバイブすることなど到底できない。未練たらしく首相の座にしがみついて世界中に恥をさらした安倍晋三よりは潔い身の引き方とはいえ、「国のためを思って」などという福田の狸オヤジの口車に乗って党首会談などという談合まがいの場に赴いた小沢氏はあまりにも軽率すぎた。優勢が予想された衆院選を前に気が緩んで古巣の自民党に同情したのか、はたまた給油終了後に某国から外圧(例えば、うちの空母に給油しないなら、日本国内のテロリスト掃討作戦には協力しない、的なものとか)があったかどうかは知らないが、大連立なんて寝耳に水、というか公約違反じゃないのか、というのが、今回の一件に関する民主党支持者の平均的な反応だろう。
とはいえ、小沢氏ほど貫禄と風格のある政治家が他に民主党内にいるかと言われれば、思い当たらないのもまた事実である。大連立の一件は「殿ご乱心につき厳重注意」という形に留め、衆院選まで小沢継投という目もあるかもしれない。もちろん、disるのが仕事と錯覚している日本のマスコミは喜んで小沢氏と民主党を叩くに違いないが、残念ながらそれはすでに死に体となっている与党を利するだけであって、昨今の自民党政権の失政続きにより格差が拡大し、国民全体の抱える負債は減るどころかむしろ増えている現状に苦しまされている国民にとってもメリットのある報道とは言えまい。
確かに、挙党一致体制をとって党首を支えていたはずの民主党で今回のような党首のスタンドプレーが起きてしまったことは残念な事態である。また、民主党議員の「小沢頼み」に不甲斐なさを感じていたであろう小沢氏の心痛を察する者が周囲に少なかったことも裏付けた一件だった。だが、数年前にスタンドプレーの権化ともいえる小泉旋風の猛威が吹き荒れ、マスコミも国民も諸手をあげてそれに同調した危険な時代があったことを考えれば、小沢氏が今回、崩壊寸前の自民党の中に手を突っ込んでベテラン議員を引き抜こうと考えて大連立に意欲を示した点については軽率なスタンドプレーとして批判されてしかるべきだが、その大連立の案を民主党内に持ち帰り、役員会で否決されスタンドプレーを撤回した(持論の大連立を断念した)プロセス自体は実に迅速かつ明確だった。むしろ、党首が独走することがあっても党の基本方針は揺らがないということを証明した点においては、あの半ば独裁状態だった小泉政権とは違って、民主党は党の政策ないし党内議論で党首をきちんとコントロールできる、すなわち誰が党首になっても一貫した政策を実現する能力のある政党であることを証明した訳で、その点は評価できよう。とはいえ、党のトップがころころと変わるのは望ましいことではない。辞任するにせよ、慰留するにせよ、すみやかな正常化を願う。