聞こえぬものこそ
人間誰しも、年をとると耳が遠くなる。まず25歳前後で14,000Hz以上の高い周波数がガクンと聞こえなくなり、その後ゆっくりと可聴範囲が狭くなっていくそうだ。子供の頃、黒板を爪でひっかく音(あれはもう少し低くて12,000Hzぐらいだろうか)をひどく耳ざわりに感じたものだが、あれも年を取ればさほど気にならなくということか。イギリスでは大人(先生)に聞こえない高周波数を用いてケータイの着信音を作り、授業中にメールをやりとりしている学生たちがいるらしい*1。
人間は、音を「大きさ(振動、エネルギー)」「高さ(周波数)」「音色((基音*2および倍音の時間的変化+α)」の3つの要素で認識している。'80年代に「レコードとCD、どちらの方が音がよいか」という不毛な論争が、また'90年代に「MP3の音質の悪さ」という問題が起きたが、これは次のように説明できよう。CDと異なり、アナログレコードは100kHz程度の超高周波まで記録することができたが、CDが開発された当時、10ギガ程度にも及ぶレコードの情報量を手頃な価格でデジタル化することは不可能であったため、「あまり高い周波数は聴こえない」という理由からCDでは22kHz以上の高周波がカットされてしまった。またMD(ATRAC)やMP3などの圧縮技術が登場してきた際にも、CD開発時の論理を拡張する形で「聴こえにくい周波数は削って圧縮しても問題ない」という乱暴な説明がまかり通り、低ビットレートの音源が販売された。ところが近年の研究の結果、耳で聞こえないはずの高い周波数の音も脳は「聞いている」*3ことが分かってきており、アナログレコードの音質面での良さが再評価されている。なお、デジタル機器のデータ容量の増加とサンプリング技術の進化(SACDに用いられているDSDフォーマットの登場など)に伴い、レコードのウォームな音がデジタル環境でもようやく再現可能*4になってきている)。
さて長々と遠回りしてきたが、ここからが本題である。27歳の頃から耳が悪くなり始めたベートーベンは、すっかり耳の遠くなった老人のような狭い可聴範囲で音を聴いていた。クラシックの古典派の時代は、ピアノの進化の時代でもあった。大バッハがチェンバロを弾いていたバロックの頃は50鍵(オルガンを除く)、モーツァルトの頃は60鍵程度だった鍵盤楽器の音域は、ベートーベンの晩年には現在のピアノに近い形まで拡張されている。新しいピアノが誕生すると、ベートーベンがすぐに取り寄せて試していたのは有名な話だが、音域の拡がった新しいピアノの音を、日々聞こえなくなっていく耳で必死に捉えようとする作曲家の辛さは想像を絶するものがある。しかしそれでも彼は、幼い頃に培った確かな絶対音感と、不格好で役立たずの補聴器を頼りに、深い孤独のなか、絶望の闇を抜き抜けて栄光へと至った。聞こえぬものこそ、真実の音を聞くのである。