Yes We Can (Cause We Rule The World)

orpheus2008-11-08

アメリカで初めてカトリック系の大統領*1が誕生した1961年、真珠湾を擁するオアフ島で、ケニア人の父とアメリカ人の母の間にひとりの男の子が生まれた。まさかその子がのちに大統領になると、いったい誰が予想しただろう。半世紀を経て、最悪の状況に苦しむアメリカの大衆は、建国の精神*2を思い起こさせる人物を次の大統領に選んだ。サダム・フセインとビン=ラーディンに手を焼き、イラクを焦土と化したホワイトハウスの主はまもなくその座を退き、バラクフセインオバマがやって来る。厚さ6cmの防弾ガラスは欠かせない。しかし、再び“黄金の扉”は開かれたのである*3。黒人活動家としてキャリアをスタートしたオバマは、アメリカの白人にも黒人にもなじめず、自分のことを African Stranger と考えてきた。黒人たちはその肌の色ゆえに手放しでオバマを評価しているのだが、皮肉なことに、彼が大統領に選ばれた最大の勝因は肌にせよ政治的メッセージにせよ、その“色の薄さ”にあった。グローバリストが推進してきた自由貿易規制緩和*4は絶望的な格差の拡大をもたらし、繁栄から取り残された過半数の貧しい白人と、いまや黒人よりも多数派となっているヒスパニック系住民の票を獲得したことで、オバマは大統領になったのである。もしこれがオバマでなく、例えば南部出身の“生粋”の黒人候補であったなら、今回の大統領選の結果はまったく違ったものになっていたに違いない(白人・ヒスパニック・黒人・アジアンなどの対立がクローズアップされ、国を分断する険悪な選挙になっていた可能性が極めて高い)。こうした人種や信念の違いといった多様性がはらむ緊張感を外へのエネルギーに変えるべく、オバマは魔法の言葉を唱える――Yes We Can、と。しかし彼がケニアのような貧しい国で立候補していたら、果たして同じ言葉が通用しただろうか。そこには、Yes We Can (Cause We America Rule The World)という厳然たる事実が横たわっているのだ。アメリカが自ら始めた戦争と金融危機超大国の“外様”大統領が挑む Change という名の壮大な“尻ぬぐい”に、世界が注目している*5

*1:John Fitzgerald Kennedy, JFK 1917-1963

*2:"all men are created equal; that they are endowed by their creator with inherent and certain inalienable rights; that among these are life, liberty, & the pursuit of happiness"(すべての人は平等に造られ、造物主によって天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求が含まれる) In Congress July 4, 1776 "The Declaration of Independence of the 13 United States of America"(アメリカ独立宣言)

*3:"Give me your tired, your poor, Your huddled masses yearning to breathe free, The wretched refuse of your teeming shore. Send these, the homeless, tempest-tost to me I lift my light beside the golden door!"(疲れし者、貧しき者を我に与えよ。自由の空気を吸わんと熱望する人たちよ。身を寄せ合う哀れな人たちよ。住む家なく、嵐にもまれし者を我に送りたまえ。我は、黄金の扉にて灯を掲げん) Emma Lazarus, "The New Colossus" (1883)

*4:日本でこの格差の拡大に荷担した代表者が小泉や竹中、村上ファンドホリエモンである。もちろんグローバル経済を謳歌して海外に生産の拠点を移し、国内産業を蔑ろにしてきたトヨタソニーなどの大企業も現在、同様のしっぺ返しを食らっている。

*5:一番注目しているのは金融界である。信用縮小にあえぐマーケットはオバマの当選後、金融政策の Change すなわち政府の介入による「ニューディール」的アプローチを警戒し、大きく下げている。