岡目八目

社会的な問題というものは(その混乱が大きければ大きいほど)関係ないはずの部外者の関心を引きつける。自分の眼の前で毎日争いが繰りかえされたら、どちらかの側に肩入れしたくなるのが人情というものだ。そこを踏み止まり、体制に癒着する日和見的な態度(「記者クラブ的態度」*1)の側でもなく、体制の活動を否定してかかる反体制的な態度(「朝日新聞的態度」)のどちら側にも組せずに距離を保つとしよう。ところがこれが落とし穴なのだ。いったん「中庸」を決め込んだ傍観者は「どちらの側にも立たない」ことでかえって自分の立場を固定化してしまう*2。こんなことを考えていくと、ライブドア敵対的買収をかけられたフジサンケイグループニッポン放送を含む組織図はこちら)を巨大メディア=体制*3であるから、という理由だけで非難する人間に「朝日新聞的態度」が漂い、それを批判する側に「記者クラブ的態度」が見られたとしても、どっちつかずの「中庸」でニヤついている傍観者よりはマシではないかと思えてくる*4。で、表題の「岡目八目」。堀江氏の養殖しているパブリック・ジャーナリストなんぞは論外だが、プロを自認するジャーナリストたちが「岡目八目」じゃ話にならない。サラリーマン記者であれ何であれ、それを肩書きにしている人間はもっと緊張感のある報道をして欲しいものである。

*1:cf.長野県知事『脱・記者クラブ』宣言

*2:読売新聞と朝日新聞における圧倒的な発行部数の差は、その主な購読者層の違いや両社の営業力の差といった理由より、保守の否定のためには手段を選ばない後者の偏向を多くの読者が自然と敬遠しているからだろう。靖国問題竹島問題の扱いで象徴されるように、自国の利害を損なってでも中国や韓国を持ち上げて日本の立場を苦しくする朝日新聞はもはや判官贔屓を通り越して自虐的ですらある。

*3:テレビでいえば、国営放送として公権力を代弁し、モラルを語らざるを得ないNHK、娯楽番組で視聴率を稼ぎ広告代理店と連携してトレンドを生み出すフジテレビなどの民放。なお、NHKが過剰なエンターテイメントに目覚めたり、フジテレビが公共性を強調すると違和感が生じる。それぞれの組織に求められているものは違うのだ。

*4:科学万能主義やグローバリズムを信奉し、大量消費的な生活に浸かりながら「持続可能な社会」などと幻想を口にする輩がいかに多いことか。人間社会は自然を破壊することでしか生きられない。大量のエネルギーを消費して愛・地球博へと繰り出し、竹製の日本館を見て「これが21世紀の叡智だね」と(自分のことを棚に上げて)笑う人々のなんと底の浅いことだろう。かく言う自分も同じ穴の貉なのだから始末におえないが……。