音楽を学ぶこと/聴くことについて

以下はミクシィで知人向けに書いた文章の一部。最近は趣味で作曲をする人も増えてきたようなので、閉鎖的なSNSよりも露出度の高いこちらで比較的重要だと思われる箇所を掲載してみる(このブログの記事はミクシィとリンクしている)。

独学のメリットは自分のペースで学べること、デメリットは間違ったまま先に進んでしまい、袋小路に陥る可能性があることです。 

西洋楽器を前提とした音楽を作るのであれば、西洋の音楽理論を勉強することと、これらの楽器の奏法に精通することは必須です。ただし、吹奏楽の雑食性を考えると、例えばブルース的な要素が入った音楽も別の機会に勉強する必要があるかもしれません。その際に、クラシックの音楽理論と矛盾するケースが出てくることは最初から想定しておいた方が良いでしょう。 

楽器の奏法に関してはやはり経験による部分が大きいので、吹奏楽の奏者に話を聞くことのできる状況を作るべきです。今の時代、趣味で作曲する人も増えましたから、同じ悩みを抱えている同志を見つけて、競作するのも良い刺激になるかと思います。

(略)

再生環境の話が出たので補足しておきます。 

忘れている人が多いですが、生楽器もホールの残響も録音技術もみな人工物です。演奏はもちろん人為的な行為ですが、録音されたものにも積極的な《加工》が施されています。これは演奏家の努力と同様に作曲家やプロデューサー、エンジニアが(それぞれの信じる)良い音を演出するための営みであり、再生環境で音が変わる云々といった議論以前の根本的な前提だと言えます*1。 

一方、演奏される楽器や演奏会場の音響的特性、天候や観客の混み具合による湿気等の諸条件で生演奏も音や印象が大きく変化します。稚拙な演奏でもライブだと許容されがちなのは、演奏される場にいるという高揚感が聴き手の判断を鈍らせるからです。録音されたものを聴く場合はそうした臨場感に伴う甘さが減少しますので、よりシビアに音そのものと対峙することになります*2

*1:西洋の楽器はほぼ完成の域に達しているが、こうしたアコースティック楽器も楽器職人の試行錯誤の産物であることを忘れてはならない。もっとも、今日では物理モデリングシンセサイザーを用いて管楽器のマウスピースに弦楽器のボディを接続するといった試みも簡単にできるようになっているが、既存の楽器を盲信する保守的な人達からは評価されていないようである。

*2:自分の好みの音に補正して聴く楽しさもある。