ゆく年くる年

orpheus2008-12-31

帰省先で父の発病を知った。ジェームズ・コバーンのように煙草を愛してきた人だから、その肺癌の知らせはまるで予約していた指定席のチケットが忘れずにポストに届くように、我が家へと自然にやってきた。片肺がやられ、気管支が細くなって呼吸することさえ苦しいはずなのに、死ぬまで煙草はやめないと本人は言い張って、担当医も呆れていた。
昔、父は五人兄弟の一人を癌で失っている。癌の発見が遅れ、わずか半年の闘病生活を経て弟は死んでしまった。兄弟の中で一番やさしい弟がゆえに、神がいち早く声をかけたのかもしれない。父は弟とはまるで逆の性格で、いつも静かに怒っているような人である。世界大戦のさなかに生を受けた父は、海軍の零戦と同い年だ。激動の昭和を生き、混乱の平成の世にいよいよ被弾した父はもう70歳まで生き抜くことはできないかもしれない。孫の顔を見ることもなく、死んでいくかもしれない。来年の今日、父はまだ空を飛んでいるだろうか。たまにしか見せない笑顔を、コクピットからまた見せてくれるだろうか。墓には好きなフィリップ・モリスを入れてくれ、と父は言った。今年はひとりで除夜の鐘を聞きたい、僕はそう思った。